ぎりぎりにっきリターンず

乳がん闘病記時々日常日記

入院してました 中編

中編!

 

いきなり入院宣告をされベットを当てがわれ入院生活が始まりました。

まずは・・・旦那ちゃんに連絡して必要なものを持ってきてもらわねば・・・

と 連絡事項LINEをポチポチしていると、看護師さんがやってきて

とりあえず注射を打たれ、あとこれ飲んでくださいね^^と薬を貰いました。

 

心臓が弱っている→本来の働きをしておらず体に余分な水分が溜まっている →

とりあえずまずは水分を排出して心臓の負担を減らしてあげよう。

てな感じみたいです。

ちなみに、飲んだ水分の量を渡された用紙に記入し、

出た尿は専用の機械にいれて 何cc出たか毎回計る…ということでした。

正直めんどいwと思いましたが、1人部屋に移ってからは安静なのもあり

部屋についているトイレに尿を取るカップを用意してもらい、

尿がでたらナースコールして新しいものに変えてもらう、てな感じでした。

 

あと、モニタリングの付いた心電図を付けられました。

何気にこれが邪魔くさい(;´Д`)

 

利尿剤が効きまくってるせいかその日は1時間に1回以上尿がでました。

薬ってスゴイネ・・・

 

そしてよりによってその日は初の家庭訪問の日であり、

あと娘ちゃんのピアノのレッスンの日でもあったのですが

その辺は旦那ちゃんに丸投げお任せしました(/・ω・)/

 

頼んであった荷物を持って、夕方病院に来てくれました。

家庭訪問は難なく終わったみたいで良かったです。

色々話して、小一時間たったところで夕飯の時間になりました。

 

病院食。

正直味も薄くて、オイシイモノでは無い。というイメージが強いです。

しかも病状が病状なだけに減塩を強いられるのは間違いない。

で、一応安静の指示が出ているので夕飯は看護師さんが運んできてくれました。

 

うん。正直美味しくは。。。ないね(´;ω;`)

しかし、減塩な食事なのに味が薄いとは全然感じませんでした。

この病院は1階ロビーにローソンが併設されていて、

(*´ω`)。。(ああ、食べたいときにからあげくん食べれるワーv)

なんて甘い事を考えていましたが・・・

減塩厳守であるからして病院食以外は口に出来ません;;;

早く元気になってからあげくんを食べるぞ・・・とこっそり誓いました。

 

初日はやはり急に環境の変化があったせいもあってか、

なかなか寝付けませんでした。 そもそも横になると息苦しいのが増すのもあって、

ここ何日かはウトウトしては起きる。 の日々だったのですが、

それプラス利尿剤のおかげでトイレに行きまくる&

用意してもらった一人部屋がナースステーションのすぐ隣で、

ナースコールは時間を問わず鳴るわ、

救急指定の病院なので これまた立て続けに救急車は来るは・・・で、

自宅もそれなりに病院が近いので救急車の音とかは

馴れていたつもりではありましたが やはり気になりなかなか寝付けませんでした。

 

今までここ最近ずっと夢は見てなったのですが

(本来夢は絶対見ていて、覚えているか居ないかの違いらしいですね)

初日はなんか得体のしれない変な生き物に、

お金の概念を覚えさせるという夢をみました。我ながらなんじゃそりゃ(笑)

 

次の日も特にすることもなくスマホをポチポチしつつ、ウトウトしかけつつも

"(-""-)"。。(アカン・・・!昼間寝てしまったら夜寝れんくなる・・・!)と

出来るだけ頑張ってみました。まあ結局ウトウトしてたわけですが( ´_ゝ`)

 

翌日からは旦那ちゃんもそんなに会社を休める訳もなく

両親が泊まりで娘ちゃんを見てくれるというので、

有難くおねがいして来てもらうことにしました。

で、学校から帰ってきたら宿題を終わらせてお見舞いに来てくれる。

という流れになりました。

家(実家)には介護が必要なばあちゃん(私からして祖母)がいるのですが

こんな事態なので叔母にばあちゃんのことは頼んだみたいです。

ちなみに、ばあちゃんには乳がんのことを話していないので

今回は風邪拗らせて肺炎になって入院。だそうで(-_-;)

 

そしてそんな日が何日か続き・・・

2日目はなんかヒーロー物の映画撮影をする夢を見たり、

また次の日は隣の病室(たぶん個室)に深夜友達が検査入院してくる夢だったり、

深夜にオーイオーイと叫んでいる爺様がいたり・・・

(自分の入院した病棟の階は入院患者の殆どが高齢な方ばかりでした…)

 

何日目かに明け方ぐらいにドクターブルーのアナウンスが流れ

(*'ω'*)。。(うわー!ドラマみたいや!)

と思いつつ・・・ 変な時間にそのアナウンスで起きてしまい、

眠れないしどうしよう・・・となってみたりしてました。

20日程度入院してましたが、ドクターブルーはその1回だけでした。

やはりあまり頻繁にあるものではないのかな・・・?

 

入院してすぐに幼稚園(娘ちゃんの)からのお友達がお見舞いに来てくれたりで、

とっても嬉しかったです(∩´∀`)∩

 

入院するにあたり、主治医の先生に 入院期間は早くて2週間程度。

長引けば1か月を超えるかも。

と言われてはいたのですが、10日程度たったところで、

レントゲンとCTからみた心臓のモヤモヤしてものが 血液の淀みなのか、

はたまたになってしまっているのか。

心配のない淀みなら問題は無いとの事でしたが、 それが血液が凝固したものだと

いつかその塊が心臓から脳の方に行けば 血栓となり脳梗塞

脳以外のところでも腸や脚に飛んで行って詰まったら大変なことになる。

というので、造影剤を用いてMRIを撮って、

その心臓の淀みを確認し大丈夫なら退院。

心配なものならまた対処を考えましょう。

ということで 翌日MRIを撮ることになりました。

先生に、閉所恐怖症とか大丈夫だよね?^^と聞かれましたが

前回MRIを撮った時も、

音がうるさいな(-_-;)とおもったくらいで狭いのは平気だったので

大丈夫です!と答えMRIをする流れとなりました。  

 

後半に続く。

入院してました 前編

そうだブログ放置ってたわーw

と、久しぶりに開いたら・・・案の定トップに広告の
(この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています)
が表示されてました(〃▽〃)

 

闘病ブログ更新途絶える→ブログ主死亡か?!となりがちですが
恥ずかしながら、まだなんとか生きてます(・ω<)てへぺろ

 

20190402にECも受けていて、
(*'ω'*)<あー、ブログ書かないとなアwまあそのうち・・・
としているうちに、
なんだか日常生活が息苦しくなってきました。
比喩でなく、物理的です(;´Д`)
自宅で2階に上るのもしんどいなあ、と感じるようになり
大きいモール(平たく言うとイオン)でもちょっと歩くとやたら疲れたり。
疲れてるんかな、歳のせいかな…
なんて思っていた矢先、風邪をひきました。
鼻水は出るは咳は出るは、熱は39度超えるは・・・

ああ、しんどいのは風邪のせいか^^と納得しそんな状態でGW突入です。

今年は粋な政府の計らいもあり10連休でした^^


GWは前半私の実家に泊まり、

それから福井の方にオイシイお魚を食べに行こう!と予定してました。
風邪ひいてるけども熱は乳腺クリニックで処方してもらって

38度以上出たら飲んでね。の薬飲んだし、

まあ実家に行けば娘ちゃん見てて貰えるし、自宅にいるより養生できるかなw
なんて邪な気持ちもあり実家に行きました。


ちなみにほぼほぼ寝て過ごしてました( ノД`)モーニングも行けず;
で、寝てた甲斐もあり?熱は一応37度代までは下がりましたが、
なんというか息苦しさ、倦怠感が抜けません。
まあ、熱は何とか下がったし!鼻水も咳も治まったし!
旅行は折角GWで取れたとこだし、魚食べたいし!
という事で実家を後にし福井に向かいました。

 

お魚!あんまし食べれなかったけどとってもおいしかったです。
口コミで食べきれないくらいボリュウミーとありましたが、ほんとでした。

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冬だとカニのメニューもあるそうなので、また違う季節にも来たいな、と思いました。
行きと帰り、もうちょっと元気ならばあちらこちら寄り道したかったのですが
いかんせん歩くのもしんどく、宿から家に直帰で帰ってきました(´;ω;`)

で、GWの前半は終わり・・・
後半もそれなりに予定もあったりしたのですが、
どうにも体調が思わしくなく、最低限の買い物程度で令和初のGWは終わりました。

 

で、GW明けの5/7、乳腺クリニックの予約日でした。
流石に風邪のせいだと思ってたのに、熱は長引くはこの息苦しさは尋常じゃないな。
もしかして、副作用か・・・?と見てみたら・・・
やはり、ECの副作用動悸息切れが載ってました/(^o^)\
なので、クリニックに行き息切れ動悸の症状を伝えると、
レントゲンと心電図をまず撮ることになり・・・
主治医の先生に呼ばれると、すぐさま
('Д')<ちょっと心臓が思わしくないのでこれからすぐ医療センター行ってください。
循環器の先生に紹介状が用意されてました。
しかも、即入院もありうると・・・Σ(゚д゚lll)

 

えー・・・昼から娘ちゃん帰ってくるのにどうしよ・・・

とりあえず、旦那ちゃんに電話するか・・・
と、とりあえず連絡をとり、ざっくり状況を話し

午後半休を取ってもらうことにしました。


で、私はそのまま医療センターへ。

紹介状を受付に渡すと、少し待って下さいね。と言われ・・・
いきなり車いすが用意されました。
Σ( ̄ロ ̄lll)..(車いす乗らなイカンぐらいわしはやヴぁいのか・・・・?!)
と、内心かなりビクビクしながら
採血・心電図・レントゲン、と検査をされました。
で、暫く待っていよいよ循環器の先生の待つ診察室へ。

 

先生から言われたのは、
かなり心臓が弱っているので、このまま放置していたら
救急車で運ばれていたレベルですよ。とのこと。
確かに見せてもっらた胸部のレントゲン、かなり心臓が肥大していました・・・。
そりゃエラかったはずだは・・・(´;ω;`)
安静にして投薬で心臓の機能を回復させる必要があるとのことで、
即入院決定しました/(^o^)\

すぐさま、旦那ちゃんに入院になったことを伝え、
その日はタイミングが悪いことに家庭訪問の日だったりもしたので
その辺も丸投げしてお任せしました(・ω<)

ついでにピアノのレッスン日だったのでそれもw

 

入院は個室が良かったので希望をだしたのですが、
最初は空いてない。とのことで4人部屋に通されましたが、ちょっとしたら
(*´ω`)<個室空くみたいです!

と看護師さんが教えに来てくれて晴れて個室ゲットとなりました(*´▽`*)

 

中編につづく。

EC続投

20190213

前回乳腺クリニックからの、CTと骨シンチ撮って来てね。

からの予約で行ってきました。

 

 

朝一で骨シンチの造影剤を打ち、それからCTを撮影してもらい、

再度造影剤が体に巡り回った頃、ということで

12時半頃に再度病院に出直しました。

 

CTはものの5分くらいの撮影で終わるのですが、骨シンチは20分程度かかります。

終わったら、幼稚園の(その日は面談日でした)時間に丁度余裕があったので

前回、放射線科の先生が特に次回の様子見の予約は入れないけど、

こっちに寄ることがあったら顔出してね^^

と言ってくれていたので、寄ってきました。

流石に撮りたての骨シンチデータは出ていなかったみたいでしたが、

午前中撮っていたCTの画像はもう上がってきていたようで、

見せて貰いながら、どんなもんか聞きましたが、

移転していたものは、小さくなったり、薬が効いている様なのか

いい方向に向かっている。とのことでした(∩´∀`)∩

とりあえず、大腿骨はまだまだ要注意なので、とりあえず転倒にだけは

注意してくださいね><と念を押され、その日は医療センターを後にしました。

 

20190226

結果をもとに、次を考えましょう。てなかんじでの乳腺クリニックの日でした。

受付するやいなや、いつもと同じく、

問診書いて、検温体重、血圧脈…と調べらてもらって、

(*'ω'*).。(あれ?今日検温とかあるのね?)

と思っていたら、採血に促されたので看護師さんに、

今日も抗がん剤投与あるんですか?

と聞いたら、先生からはそう伺ってますよー^^という返事で、

あれ?6回までしか打てないんじゃ。。。

あ、もしかして新しい次のもう決まってるのかな?

とかとか考えつつ、とりあえず先生に呼ばれたらきいてみよう(*'ω'*)

と、血液を抜かれながら思っていました。

 

しばらくして、先生に呼ばれ診察室へ。

 

先週医療センターで撮ってきたデータをみながらの説明がまず始まりました。

 

医療センターでサラっと聞いていたのもあったのでなんですが、

腫瘍マーカーの数字や、

画像に目に見えての影(癌)の縮小は嬉しいです(´;ω;`)

で、薬もよく効いているし副作用も酷く出ていないのもあり、

もう少しECで続けましょう。となりました。

(*'ω'*)<え?・・・

(*'ω'*)、、、、ECって、6回までしか打てないんじゃ・・・

(*'ω'*;)。。。次これ打ったら7回目なんやけど・・・・

と思いながら、おそるおそる先生に聞いてみたところ、

6回は目安で、回数云々というよりかは

許容量○○mlが生涯のうちに投与出来る量と決まっていて、

その量になるまではまだ大丈夫らしく、

投与期間をあけて、少し1回の投与量を減らして、長く使っていきましょう^^

という事となりました。

勘違いをしておりました(´;ω;`)

とりあえず、新しい薬に移るとまた新たにECではでなかった副作用とかも心配だし

自分にとっては、赤い悪魔赤い天使なので

EC続投できてうれしいです(∩´∀`)∩

 

それからいつものようにイメンドを飲み、いつものようにEC一連を投与してもらい

クリニックを後にしました。

次回は4/2です。

 

EC療法最終回

20190122
年明け最初の通院日でした。

いつもの通り、予約の時間にクリニックに入り
検温、体重を計り、採血して貰って待つこと15分程度。
先生に呼ばれると、いつも通りに
どうですかー?変わりないですか?と聞かれて
こちらもおかげさまで、体調不良もなく~(*´ω`)…
で、じゃあいつも通り~と思ったら

EC療法(ファルモルビシンとエンドキサン)の投薬は
一生のうち投薬は6回まで。
と、回数が決まっているらしく、
今回がその6回目で最後のECとなりました。

( ゚Д゚).oO(一生のうち6回か…やはりそれだけ強力な薬だっだんだなあ…)

などとぼんやり考えつつ、
じゃ次は違う抗がん剤になるのかなー?
何になるのかなー?と思っていると、
来月またCTと骨シンチを撮って来てくださいとの事でした。
とりあえず、画像で様子を確認し
次の薬を決めていく感じなのでしょうか。
一応、腫瘍マーカーは良い数値が出ているらしく&
思っていたより、自分は白血球の減少も無く、
結構いい感じにこれはきているのではないか?!
と、言った感じでした(*'ω'*)

先生がチラっと分子標的薬も…みたくいっていたので
そちらの薬になるんだろうか('_')

その後はいつも通りに、イメンドを飲んで
その後いつも通りの点滴投与でした。

赤い悪魔(おそらく副作用の辛さから(-_-;))
とちまたでは言われているエピルビシンですが、
私にとっては、赤い天使だったなあ(*'ω'*)
と、落ちてゆく点滴パッケを眺めながら思ったりもしました。

それからランマークも一緒に打ってもらい、本日完了。

終わったあとは、いつものお楽しみで
以前行ったカフェにランチプレートを楽しみに行きましたが
多少出遅れた?感があったのか、
ランチプレート涙の完売で、
鳥ハムサンドウィッチランチを変わりに頂きました。

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メニュー変わってたランチプレート食べたかった~!
次は食べられますように(*'ω'*)


そいえば、また髪の話なのですが
まだまだECの最中ではありますが、
年明けくらいから微妙に頭髪が生えてきました。
以前は頭皮がバッチリ見える落ち武者風だったのが
ちょっと薄い目?の坊主くらいになってきました。わーい

先生に、そいや髪の毛がもう生えてきたっぽくて…
と話したら
('先')<そいう方も見えますね。
と、ざっくり返されました。
やはりほんと、脱毛にしろ体調不良にしろ
こればっかりは個人差ありまくりなんだろうなあ、みたいな。

あ、でもまた薬変わったら
つるつる逆戻りかな( ´_ゝ`)

年末年始とじいちゃんの話  後編

またまた続きました。
怒涛の終盤、ラストの後編です。


2日は我が家に戻り、年賀状をチェックしたり、
喪服その他を用意したりして、バタバタと一日終わりました。
パパがなんかカッターシャツ、首回りがキツイ。なんて言い出すので
夕飯を食べに行く前にイオンに寄りカッターシャツも購入しました。

3日、朝起きて朝マックでご飯を済ませ、再度実家に向かいます。
思ったより高速の出口が混んでいて、11時前には着く予定でしたが
実家に寄って、必要な荷物を取りに行ってたのもあり、
少し遅くなってしまい、ほぼ湯灌は終わりかけていました。
ほんと、じいちゃん今にも起きてきそうな穏やかな寝顔でした。

午前中はまだ何かよく分かっていない娘ちゃんは、
いっぱい遊んでくれる叔母さんが居るので
大喜びでキャッキャと遊んでいました。
が、
なんか昼前から急にぐったりし始めました。
とりあえず座布団とひざ掛けで簡易的な布団を作り、そこで寝かせました。
お昼は近所のセブンに買いに行き、
娘ちゃんはゼリーかプリンなら食べるかな?と見繕って買ってきました。
大好きなはずのゼリー、プリンなのに半分くらいしか食べず、
ぐったりと寝たままです。

15時位に一旦足りないものの買い出し&実家に寄っていた父母が戻ってきて
その時体温計を持ってきて、と頼んでいたので
早速娘ちゃんの体温を測ると、なんと39.9度Σ( ̄ロ ̄lll)
これはお医者連れて行かねば・・・
もしかしてインフルか?とも思いながら、
お正月なので救急やってるとこしかないなあ、、、と思い
じいちゃんが運ばれた病院に行きました。
が、その病院はそもそも小児科が無く=小児科の先生もおらず、
昼間だったのもあり、1時間以上は待ちになるので
同じ待つなら小児科の先生の居る小牧市民病院に行かれてはどうですか?
とオススメされ、一回出直します。と病院を後にしました。

あんなとこで1時間以上も待ってたら悪化するに決まっているし、
オススメされた病院は行った事が無い&そこそこ遠いののもあり、
以前にもここまで高熱では無かったのですが39度超えの熱が出た時も
一日寝たら治った事があったので…と思いながら
もっかい戻って、少し休めば熱も下がるかもしれない。
と様子見することにしました。

葬儀会館に戻り、再度座布団で寝る娘ちゃん。
で、その隣で一緒に寝る旦那ちゃん(;´・ω・)
朝マック、娘ちゃんが残したの食べてるのもあり、
あー俺も風邪移ってるかな~とか呑気なことを言ってまいたが、
せめてマスクしたらどうなのか。と思いつつ放置してました(-_-;)

19時から告別式で、18時に喪服に着替え準備していました。
再度娘ちゃんの熱を測るも・・・39.9度は変わらず。
皆に相談すると、高熱で脳炎とかになると大変だから医者に連れて行くべき。
という圧倒的な意見で、さっき行った病院は当てにならないので
違う大きい救急のあるリニューアルして立派になった病院があるのを
隣の市ですが、結構近いのを思い出し
(ここにもじいちゃん掛かっていた)

再度平服に着替え、車を走らせました。
待つのを覚悟で行きましたが、すぐ呼ばれて、病状を話すと
鼻にアレを突っ込まれインフルの検査完了となりました。
暫くして再度呼ばれ…結果はインフル陽性。A型でした。
インフルになった場合の出席禁止の説明書きを貰い、説明を受けて
治癒証明書が居るのならば、
5日経過後の後3日平熱ののち来てくださいね、と言われましたが
今帰省しているので、地元の小児科でも証明書だけ発行してもらえますかねえ?
と聞いたところ、
('医')<ほかの病院の事はちょっとわかりませんねえ・・・
とバッサリと言われました。そりゃそうだ(笑)
まあ、インフルにかこつけて(笑)
来週一週間も実家に世話になろう(*'ω'*)
治癒証明この病院でもらう方がたぶんめんどくないだろうしなあ。
パパは仕事があるので、先に帰って週末に迎えに来てもらえばいいや♪
という結論に達しました(笑)

お通夜は出れなかったのですが、翌日の告別式は
パパに娘ちゃんを見ててもらうという形で私だけ出る事にしました。
お昼の仕出しはパパの分も頭数に入れて注文してあったので、
昼前に先に受け取り、家に届けました。
娘ちゃんにはプリンを食べさせ薬を飲ませます。
そしたら、パパがなんか自分も移ったかも。だるいし、熱っぽい…と言って、
珍しく?!御膳を半分くらい残していました。
とりあえず、水分取って安静にしててねー。
告別式からの火葬場でたぶん夕方にはなると思う~と話しして、会館に戻りました。

告別式が始まり、ああ本当にお別れなんだな。と思うと
元旦にあれだけ泣いて、もう泣き果てたと思っていたのに
またポロポロと涙が止まりませんでした。
式が終わり、火葬場にバスで移動し、火葬室に入っていくじいちゃんを見て
ああ、本当にお別れなんだな。。。とまたポロポロと涙が出ました。

始めて火葬場に来たのですが、結構時間が掛かるのですね。
待合で飲物を飲みながら従姉妹らと話しをしながら待ちました。
じいちゃんに連れて行ってもらった場所の話とか。
真っ先に出たのがやはり山形行きの話でした。

幼稚園でママさん向けの英語のサークルに参加しているのですが
去年の宿題で、その例文に沿ったエピソードを発表する課題がありました。
私が中高生の時の夏休みにじいちゃんばあちゃん、
従姉妹と私の4人で10日間かけて、ばあちゃんの実家の山形まで
あちこち泊まりながら旅した事。で、途中でばあちゃんが旅費の一部の
大金が入った財布を落としてしまい途方に暮れるも、案内所に落とし物として
中身手つかずで届いていた事があり、そのエピソードで発表しよう。
と思ってたなあ~と。去年のあの時はまだまさかお正月にこうなるなんて
夢にも思っていませんでした。

火葬が終わった様でアナウンスで呼ばれ、
今度は綺麗に骨になったじいちゃんに対面しました。
係りの人に教えて貰いながら、二人箸でお骨を骨壺に入れていきます。
喉仏も綺麗なものが見つかりました。

再度会館に戻り、精進落としで夕飯だったのですが、先に私のみ抜けて
夕飯を調達して家に届けました。
娘ちゃんにゼリーを食べさせ薬を飲ませ・・・
で、パパは明日医者に行くとの事。
再度、会館に戻り夕飯をまた従姉妹らのテーブルに交じり食べ、
忘れ物が無いか確認し、実家に戻りました。

簡易的な祭壇も一緒に用意してもらっていたので
会館の方も一緒に来てくれて、
祭壇を組み立てセッティングしていってくれまいた。

じいちゃん、おうち戻ってきたよ(*´ω`)

それから翌日、パパは医者に行き(実家より徒歩1分w)
見事にインフルA判定を貰ってきました。
仕事は7日からだったのですが、上司に相談し、
もう1日休み8日から出社することにしたようです。
ちなみに幼稚園とは違い、大人なので(笑)パパの会社全体がそうなのか
部署がそうなのか分かりませんが治癒証明とかは要らない模様。

パパがぐったりするのと入れ替わり?!
娘ちゃんはタミフルが効いたのか熱も下がり、元気になり
遊びたがるようになりました(;´Д`)

そんなこんなでパパは7日に帰り、
私と娘ちゃんはそのまま実家に残り、週末にまた迎えに来てもらう。
という運びとなりました。
私も少し微熱が続き、疲れなのか風邪っぽい感じになりましたが
3日程度で回復したので、インフル貰った訳ではなかったのかなあ。と
38度超えると、クリニックで処方されている薬を飲まないといけないので
家に置いたままだったのもあり、大したことなくヨカッタです('Д')

しかし元旦が命日とは、じいちゃんらしいよ、ホント(*'ω'*)

年末年始とじいちゃんの話  中編

続きました。
怒涛の中編です


先生が、時計を確認し19時51分ご臨終です。という言葉が発せられました。
取りあえず、死因を確定せせなければならない。
(厳密には院内以外で死亡しているので)
という訳でCTに掛けられる事になりました。
司法解剖とかでよく聞く体を切るんじゃ…な思いも一瞬頭をよぎりましたが
CTで済ませれるそうです。ヨカッタ。

暫く待っていると警察官が現れました。
家庭で死亡すると、調書取られるという話を聞いたことがありますが、
ホントダッターΣ(゚д゚lll)
部屋を霊安室の傍の個室に移動してそこで待つように言われました。
そこで、事情聴取です。

ちなみに亡くなったのが1/1。
通常ですと翌日お通夜、翌々日に告別式~な流れなのですが
3日が友引の為、3日お通夜、4日告別式。な予定になりました。
警察の人が現れる前に互助会に入っている実家傍の葬儀会館に連絡して、
じいちゃんはもうその夜にでも、置いてもらう段取りは着きました。

で、問題の事情聴取です。
亡くなる前の生活サイクル、最後に会話したのは誰が何を話したか、
誰がこの状態を最初に発見したのか、などなど・・・
あと、私を含め家族ほぼ全員の住所氏名誕生日、あとは聞きたい事が出てきたら
連絡を取りたいからという体で携帯の番号を聞かれました。
何度も何度も少し聞き方を変えて、同じことを聞かれました。
(最後に会話したのは何時か、最後に何を食べたか、等)
言っていることに矛盾は無いか、の確認なんでしょうか。

そうこうしていると、葬儀屋さんから迎えに来る時間が近づいてきました。
なので、まだ病院からもCTが終わった等の連絡もないし、
まだじいちゃんを連れて行ってもらう事も出来ないので、電話を入れて
まだ待ってもらう事となりました。

何度も同じ事を聞かれつつ…今度は刑事さんと鑑識の方が2人現れました。
刑事さんと鑑識の方は遺体の確認と、
じいちゃんの死亡原因は外部からの侵入(強盗等)
の形跡は無いかを調べにきたようです。

ナンカホントオオゴトニナッテルー;;;
鑑識さんに見てもらった所、外傷は特になく(当たり前ですね;)
その点の事件性は大丈夫。との事。
お医者の先生も一緒に来られて、CTの結果ではおそらく老衰。
少し肺に水が溜まっていたそうなので、肺炎気味だったかもしれない。
とのことでした。あと、実際の死亡時刻は死斑や状況から計測すると、
16時~位だったのでは?という見解でした。
あと、気休めかもしれませんが苦しそうな形相でもないし、
そいう場合に現れる跡みたいなものも現れておらず、
おそらく、眠るように亡くなったのではないか。とおっしゃってました。
確かに、苦しんでたりしてたらいくら耳が遠いとはいえ
同室にいるばあちゃんも気づくだろうしね;

次は一旦事情聴取(主に母が聞かれていた)は中断となり、
父を病院に残し、母を車に乗せて刑事さんらと一旦実家に向かいました。
ちなみに病院⇔実家は車で5分くらいです。

家に着くと、さっそくじいちゃんの部屋の確認。
色々写真に収められ、あと年金の入ってくる通帳も見せるように言われました。
部屋を調べるのはものの15分程度で終わり、刑事さんらは帰って行きました。
一番下の叔母さんが訃報を聞きつけ、家に来てくれて
ばあちゃんと一緒にいてくれたみたいです。
そして再度、母と病院に戻ります。

戻ると、またさっきの警官が待っていて、父も色々聞かれたみたいでしたが
少し話をし、また聞きたい事が出てきたら連絡します。
と言い残して警察官の方は帰って行きました。

やっと終わったか…と思いつつも、
まだ肝心の病院の方からは何も言ってこないので
母がERの方にいつまで待てばいいのか、
葬儀屋さんにはいつ来てもらえばいいのかを聞いてくる。
とERの受付に行ってしまいました。

父と個室に残されて、待つこと20分くらい(;´・ω・)
余りに遅いので冗談でお母さん迷子になって戻ってこれないんじゃない?w
とか話してましたが、そうしているうちに戻ってきました。
葬儀屋さんにはもう手配して23時頃に来てくれるみたいでした。
病院の方も検査は終わっているので、
警察の事情聴取待ちだったのかなーみたいな。
で、再び葬儀屋さんが来るまで待ちます。

時間よりちょい前に来ました。
隣の仮安置室にじいちゃんは居ました。葬儀屋さんの手によって、
綺麗な布団に包まれ、葬儀屋さんの車に乗せられ(また母が同乗)
私と父も車で葬儀会館まで付いていきました。

葬儀会館につくと、従姉妹家族と
叔母さんX3(母は4人姉妹で母が長女です)
が、もう控室で待っていました。

じいちゃんは寝台に乗せられドライアイスで保護と、
綺麗な布団をかけてもらい、
皆順番に焼香をしてから簡単な説明(線香、蝋燭の説明)を受け
今晩は3番目の叔母さん夫婦が泊まっていってくれるという事で
皆各々の家に帰っていきました。

実家に戻ったのはもう日付を跨いでいましたが
前日、紅白が見れなかった(笑)のもあり、早めに寝ていたせいなのか、
変なテンションだったのもあり、なかなか寝付けませんでした。

2日は一旦自宅に喪服を取りに帰り、
再度3日午前中の湯灌に同席出来るくらいの時間で戻ってくる段取りとなりました。
2日帰る前に、そいや喪服は用意してたけど、念珠がないわー・・・
という事で、帰る前にショッピングモールに寄り念珠を購入しました。
後から考えると、あのモールで拾ったのかな。。。
という辺りで、後編へ続きます。

年末年始とじいちゃんの話  前編

今更ですが、新しい年になりました。
今年も頑張って生きていきたいと思います(/・ω・)/

ちょっと色々とバタバタしていたり、ドラクエビルダーズ2が面白すぎて
寝る時間がマッハになったりで、久々の更新です。
そして、1月も後半というのに今更ながらの年末年始な話です(;´Д`)
長々と書いてますが、忘れないうちに残しておきたいのもあり、
乳がん系の話を読みたい方はここは飛ばしてもらっても大丈夫です(;'∀')



年末年始は、以前の記事に書いた通り私の実家に帰省して年を越すのですが…
まず29日に友達と忘年会をしてそのまま私だけ遅れて実家入りをする、
というステキな計画が、友達のパパに出張が入って都合が悪くなり
普通に29日の夕方から揃っての実家入りしました。

いつも実家に行くと2階の部屋に居るじいちゃんとばあちゃんに挨拶に行くので、
この度も着いて早々に顔を出しに行きました。
ばあちゃんは前回会った時と変わらぬ様子(耳が遠い&ややボケ気味)

じいちゃんは、ちょっと喋るのがおっくうなのか、
(^^)<じいちゃん、来たよー!暫く居るから世話になるね♪
と声を掛けましたが、手を (´ω`)∩ 見たく上げてくれて挨拶終了。

ダメな孫で申し訳ないのですが、行く度にやれあれをやってくれ、
これをやってくれ、と雑用を頼まれるのでまだ三が日まで居るし、
と、そそくさ退散。
(実際、前回行ったときはその部屋の換気扇の掃除を命じられました( ´_ゝ`)
ちなみにその時はさりげなくパパに振りました。パパすまん・・・・)

その後で母がサラっと、
('母')<じいちゃん、もうあまりご飯食べれないし春まで持たないかもよ?
と、言ってました。
その時は、ふーん…そんなに悪いのかなぁ、一時的なものなんじゃ?
なんて思ってました。

31日はお昼にお蕎麦を食べました。
例年ではじいちゃんもばあちゃんも皆揃って食べるのですが、
今年はじいちゃんは階段降りるのエライ。
ということでそれ以外の皆で食べました。

その夜、よりによってこんな年末時にTVの調子が悪いみたいで紅白も見れず
(地上波がXっぽかった)
適当に流しているTVをチラ見しつつスマホをポチポチしていると、
10時半くらいに突如じいちゃんからの呼び出しチャイムが鳴りました。
しかもタイミング悪く、母は入浴中Σ( ̄ロ ̄lll)
↑の母からの話を聞いていたので、なんかあったんじゃ!っどうぢよ~((((;゚Д゚))))
と、とりあえず風呂の母に呼び出しなったけど~と聞きに行くと、
今お風呂だから、代わりに聞いてきてーとの事
エエエエΣ(゚д゚lll)…と思い、
代わりに聞いてきて~とまたもやパパに振りました。パパすまん・・・・
娘ちゃんもまだ起きていたので、一緒に聞きに行ってくれたみたいですが、
入れ歯を外してしまっているせいかなのか、喋るのもままならないせいなのか。
何喋ってるかわからん…という事で今お母さんお風呂だから、後から来させるね。
と話して降りてきた模様でした。
慌てて風呂から上がった母が用事を聞きに行ったところ、
入れ歯の洗浄液を作ってくれ。とのことだったみたいでした(* ̄- ̄)


そして、年が明けました。
娘ちゃんを父母に任せて家に置いて、パパとア〇タのお年玉くじを引きに行きました。
狙いはバルミューダのトースターです( ̄▽ ̄)
結果は購入金額の商品券を受け取りあとBOXティッシュをつ貰い家に帰りました。
うん、今年もハズレだね!
(´;ω;`)

帰宅後、これまた元旦恒例の朝昼兼用なお雑煮と御節的なものを食べました。
例年ではじいちゃんもばあちゃんも皆揃って食べるのですが、
今年はじいちゃんは階段降りるの(略
いつも、居るなら居るで、なんかどうでもイイ用事を言いつけてきたり、
今ここでその話する?(#^ω^)な話題を振ってきたりで(#^ω^)な訳だった訳ですが
そして、毎年恒例の半分ネタと化した?
('Д')<来年はもう一緒に食べれんかもしれんなア
が聞けないものちょっと寂しかったです。

食後はまた娘ちゃんを父母に預け、パパと残ってたらいいなーの福袋を探しにあと、
最後に夕飯用にケンタでチキンを買って夕方に戻ってきました。

ちなみに、実家に泊まると大抵夜は呑んでいるのですが、
今自分のマイルールで、ケモの後で処方される吐き気止めのデカドロンが終わるまでは
お酒を避けているのもあり、ノンアルのビールを少し用意してあったのもあって、
それが残っていたので、その夕飯時には何故かそちらを飲んでいました。
そしてお風呂を済ませ、チキンをむさむさ食べていると母のスマホが鳴りました。
叔母さんからで、
じいちゃんの様態を従姉妹に話したら予定を繰り上げて会いに来る。との事。

従姉妹の家族は正月休み全般は旦那さんの実家に行き、
後半の3日くらいからこちらに来る。
というパターンなので、いつもだと会えなかったりもするので、
じゃあ今年は会えるなア♪と軽く思ってました。

暫くして従姉妹家族が到着し少し挨拶と雑談を交わし2階のじいちゃん達の部屋に
母と上がって行きました。
少しすると、従姉妹が慌てて降りてきて、開口一番に
おじいちゃん、やばいかも と

慌てて、皆で2階へ行きました。
おじいちゃん、おじいちゃん!と呼びかけるも返事はありません。
見た感じは眠っているかのようですが、体をゆすっても動きません。
顔や頭は冷たかったです…

横で母が119番に電話をし、救急車を呼んでいました。
電話越しからの救急隊員さん曰く、我々が到着するまで心臓マッサージをしてて下さい。
という事だったのですが、これまたどうすんだーと思っていたら、
従姉妹の旦那さんが心臓マッサージをしてくれました(´;ω;`)
胸を抑える度に、コポッコポッと音がして、もしかして呼吸戻る?!と思っていると
救急車のサイレンの音が近づいてきて、救急隊員さんが来てくれました。
男性の方、少し手伝ってください。という事だったので、
私達は作業の邪魔になるのも何なので
下に降りて待機していました。
とりあえず病院行かないとになるのでその隙にささっと着替えを済ませておきました。

じいちゃんが担架に乗せられ、救急車に母と乗り込むと、
私と父も車で後を追いました。
父もパパもお酒を飲んでいたので、虫の知らせか私だけ飲まずに居て良かったです( ノД`)
パパは、残されたばあちゃんが心配なので傍に居てあげてーと留守番を頼みました。

車を駐車場に入れ、ERに向かうと、母と一緒に呼ばれ、
蘇生処置(気管確保?の器具とか点滴とか)
をされたじいちゃんがベットの上に横たわっていました
傍に置かれた心電図は反応は無い様子でした。
そこでお医者の先生が、瞳孔反応もありませんし、何分もうご高齢ですし、
こういった処置ももうお辛いと思いますので、どうですか?と切り出してきました。
やはり。。。と思い、了承する母。
先生が最後におじいさんに話しかけてあげてください。とおっしゃったのですが、
もう涙が止まらず、じいちゃん、じいちゃん、というのが精いっぱいでした。


中編につづく。